2015年6月〜2016年5月 平群民報に掲載分




               平群の石仏との出会い

 私と平群の石仏との出会いは、
2011年の冬からです。娘が買ったカメラが重たくて持ち運びに不便だと、「おとうさんこれあげる」と私にくれました。そのカメラを持って法隆寺を皮切りに法起寺、元興寺、興福寺、薬師寺など定番の寺を撮影したのがきっかけでした。しかし、雑踏をきらう私は、いつしか当尾や滝坂の野にひっそり佇む石仏に惹かれる様になりました。

 平群町は石仏の宝庫です。わが町はどうかと図書館に行けば、やはりありました。町教育委員会が平成33月に発行した「平群町石造文化財 平群谷」がそうです。私もあちらこちらに石仏の屋形や石碑、常夜燈などが有る事は知っていましたが、これほど多いとは思いませんでした。

 「平群谷」は、57ページですが、収録地数は、元山上口駅方面25、平群駅方面53、竜田川駅方面29、信貴山方面25と実に132箇所に及びます。1箇所110体としても700個程度が収録されています。上記の4地域に大区分され、さらに邑(むら)単位にまとめられています。扱う対象を石造物としているため一般に言う石仏の他に石塔・鳥居・常夜燈・道標なども含みます。扱う時期は「元禄年間までのものを中心に収録し」と記されています。地図が挿入されてあり場所を番号で印してあるために、ハイキングのガイドとしても使うことができるでしょう。

 石仏は東大寺の大仏や法隆寺釈迦三尊のように歴史の表舞台に出ることはほとんど無かったと思います。研究の対象にもあまりなりませんでした。石仏は武士を含め農民・庶民の信仰や習慣や願いとともに作られてきたのではないでしょうか。元山上口の勧請の地は縄掛けで有名ですが、ここにも石仏が祀られています。信貴畑にも東勧請の地があり、立派な如来坐像と初七日から三十三回忌までの仏をあらわした十三仏板碑が祀られています。また久安寺邑には、子供の供養のためと思われる石仏が多数集められている一角がありました。先人たちが子供を大切に想い愛しんでいたのが伝わってきます。村の入り口にある地蔵屋形は、村に災いが入り込まないようにとの祈りです。よく見かける五輪塔や宝篋印塔は供養のために建てられたようです。富貴畑の旧十三峠直下に大和屋仁兵衛の名前の入った自然石の道標があります。商いで財を成した人が、世間に恩返しをする習慣があったのでしょうか。平群には他にも沢山の種類の石造物があります。皆さんも石仏ウオッチングに出かけられてはいかがでしょうか。

石仏ウオッチングに、お役に立てればとホームページを立ち上げております。未完成ですが「平群の石仏」とyahoogoogleで検索してください。ご意見や感想がいただければ幸いです。 初香台 鈴木進