2016年4月  十三重の石塔


                           十三重石塔

 五重塔や三重塔は仏教の発祥地のインドでは、スツーパと呼ばれるお墓的なものが起源とされています。それが中国に入ると卒塔婆に漢訳され日本に伝来して塔婆→塔になったとされています。お釈迦様の骨を納め信仰していましたが、やがて偶像崇拝に変わったと「日本史の教科書」に載っていたかと思います。塔には木造の塔と石造の塔があります。平群町には木造の塔はありませんが、十三重石塔が4基ほど現存しています。信貴山本堂近くに440cmの十三重石塔があります。下部6段より下は鎌倉中期の作とされ、軸部には四仏の種子(梵字)が鮮明に残っています。鳴川の千光寺境内には419cmの鎌倉後期の作とする、堂々とした塔があます。やはり軸部に四仏の種子が彫られています。椣原金勝寺の境内に一部欠損していますが鎌倉後期から南北朝の作の十三重石塔(現在は十層)があります。そして金勝寺の対岸の金勝寺墓地内には高さ440cmの十三重石塔があり鎌倉後期の作としています。この四つの十三重石塔は、鎌倉期の作という点と軸部に金剛界四仏の種子が彫られている共通点があり、この地域の真言宗の影響を感じます。皆さんも機会があれば是非ご覧になってください。



鳴川の千光寺境内



信貴山本堂下の十三重の石塔



椣原金勝寺墓地内